- 「子平」は人の名前で、四柱推命そのものの別名にもなった
- 原典が語るのは「唐の李虚中から、宋の子平へ」という流れ
- 子平の法の要点は「日を主とし、まず提綱を看る」
GENTEN SUIMEIDO JOURNAL
徐子平とは誰か?四柱推命が「子平」と呼ばれる理由を原典からやさしく解説
徐子平とは
徐子平(じょしへい)とは、四柱推命の骨組みを打ち立てたと伝えられる、宋の時代の先人です。日干(生まれた日の天干)を自分自身とみなす読み方は、この人の名とともに語り継がれてきました。
中国語圏では、四柱推命を「子平」「子平八字」と呼ぶことがあります。この「子平」は、もともと人の名前です。一人の名前が、そのまま占術の別名になったのです。
日本でも、四柱推命の古い呼び名として「子平」「子平術」が使われてきました。四柱推命の本を読み進めると、この名前にくり返し出会います。
ただし、徐子平の生涯は、ほとんど伝承に頼っています。いつ生まれ、どこで何をしたのか。原典『淵海子平』にも、その伝記は書かれていません。
まずここだけ
原典『淵海子平』がどんな本かは、こちらの記事で紹介しています。
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原典が語る徐子平
『淵海子平』の中で、「子平」はおもに方法の名前として出てきます。「子平の法」「子平の説」「法は子平に遵う」といった具合です。人物として語られる場面は、ごくわずかです。
その数少ない場面の一つが、四柱推命の歴史を語る巻一の一節です。唐の時代の先人と、宋の子平という二人の名が並びます。
唐の李虚中、宋に至りて子平の説あり
漢文原文
予嘗觀唐書,所載有李虛中者,取人所生年、月、日、時干支生尅論命之貴賤、壽夭之說,已詳之矣。至於宋時,方有子平之說。取日干為主,以年為根,以月為苗,以日為花,以時為果。
書き下し文
予、嘗て唐書を観るに、載する所に李虚中なる者有り。人の生まるる所の年・月・日・時の干支の生剋を取りて命の貴賤・寿夭を論ずるの説、已に之を詳らかにせり。宋の時に至りて、方めて子平の説有り。日干を取りて主と為し、年を以て根と為し、月を以て苗と為し、日を以て花と為し、時を以て果と為す。
現代語訳
私は『唐書』で、李虚中という人が生まれた年・月・日・時の干支の関係から、その人の身分や寿命を論じていたことを知った。宋の時代になって、はじめて「子平」の説が現れた。日の天干を主人公に取り、年を根、月を苗、日を花、時を果実にたとえる。
ここで原典が語っているのは、唐の李虚中が先にいて、宋の時代に子平の説が起こったという順番です。徐子平の生まれ年や出身地は、一言も出てきません。
巻一には、ほかに「子平が言うには」と発言を引く箇所もあります。まず胎元(受胎の月)を推せ、という趣旨の教えです。徐子平の言葉として引かれるのは、こうした術の要点だけです。
人物としての徐子平が出てくるのは、あとは歌の中くらいです。巻四の歌は「徐子平のように熟記せよ」と締めくくられます。巻三の賦では、伝説上の賢人・鬼谷子と並べて「盛衰を推すならまさしく徐公」とたたえています。本文の字は「徐公」だけですが、ふつうは徐子平のことと読まれています。
どちらも、徐子平を術を極めた名人の代名詞として扱う言い方です。この賦が書かれた時代には、徐子平はすでに伝説的な先人になっていたことがうかがえます。
巻五の締めの歌には、「これが子平の要法だ、世を渡る術者はよく心得よ」という趣旨の一句があります。子平の法は、街で命を占う術者たちに向けて説かれていたのです。

李虚中から子平へ、何が変わったのか
原典が子平の新しさとして語るのは、何を主人公に置くかです。原典によれば、子平の説は日の天干を主としました。命式の8文字(八字)のうち、生まれた日の天干を「自分」と置く考え方です。
先の一節は、年を根、月を苗、日を花、時を果実にたとえていました。4本の柱を一本の植物の育ち方に重ね、その花にあたる日を主人公に据えたのが子平の説です。
では、子平の法は具体的に何を重く見たのか。原典は巻三で、その要点を短く言い切っています。
子平の法は日を主とし、まず提綱を看る
漢文原文
子平之法,以日為主;先看提綱為重,次用年日時支,合成格局,方可斷之;皆以月令為用,不可以年取格。凡看子平之數,取格不定,十有九差。
書き下し文
子平の法は、日を以て主と為す。先づ提綱を看るを重しと為し、次に年・日・時の支を用ゐ、合はせて格局を成し、方に之を断ずべし。皆月令を以て用と為し、年を以て格を取るべからず。凡そ子平の数を看るに、格を取ること定まらざれば、十に九は差ふ。
現代語訳
子平の法は日干を主とする。まず月令(提綱)を重く見て、次に年・日・時の支を用い、合わせて格局を作ってから判断する。すべて月令を用いるのであって、年で格を取ってはいけない。子平の術を見るとき、格の取り方が定まらなければ、十のうち九は間違う。
日干が主
自分を表すのは日干です。年・月・時の文字は、すべて自分から見た関係として扱われます。現代の四柱推命で「日干=あなた」と説明されるのは、この考え方の続きです。
命式全体の仕組みは、こちらの記事で紹介しています。
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月令が提綱
月令とは、生まれた月の地支(月支)のことです。原典はこれを「提綱」、つまり命式全体をまとめる大綱と呼びました。生まれた季節の勢いを、まず重く見よという教えです。
月令は季節そのものを表します。同じ日干でも、春生まれと秋生まれでは勢いが変わる。月令を先に見るのは、そのためです。
年で格を取らない
「年で格を取ってはいけない」という一文は、年柱を中心に格を決めるやり方を戒めたものです。格とは、命式の型のことです。年柱ではなく、日と月に重心を置くのが子平の法です。
続けて原典は、格の取り方が定まらなければ十のうち九は間違うと書きます。術の難しさを、自分から正直に認めているのです。
原典はほかにも、「子平の法」の名で要点を並べています。
- 大運は地支を見て、その年の運は天干を見る
- 十神の財と官を中心に論じ、生まれた月の財と官を最も重く見る
先の「寶法」の篇には、易鑑先生という別の先生の流儀も紹介されています。十八の格のうち六つを重く取る、という少し違うやり方です。『淵海子平』がまとめられた時代には、すでに流派の違いがあったことがわかります。
自分を表す天干と、生まれた月の柱の見方は、それぞれこちらの記事で詳しく紹介しています。自分の命式で確かめたい方は、無料鑑定で8文字を出してみてください。
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徐子平と徐升は同じ人か
『淵海子平』の各巻の巻頭には、編者として「宋の徐升」の名が刷られています。同じ徐さんで、同じ宋の人。では、徐子平と徐升は同じ人なのでしょうか。
結論からいうと、原典からはわかりません。本文の中で、二つの名前を結びつける記述は見当たらないからです。
巻五の最後の篇は、先人として「宋の徐升東斎」を挙げています。けれども、そこに「子平」の文字はありません。「徐升」は編者と先人の名、「子平」は方法と名人の名として、別々に出てくるのです。
同一人物だとする説や、編者が徐子平の教えを継いだとする説も伝えられています。ただ、いずれも原典の外の伝承です。
同じ姓で同じ宋の人なので、二人が混同されやすいのは無理もありません。
そこで原典推命堂では、二つを分けて書いています。編者は徐升と伝えられ、子平の説は宋に起こったと伝えられる、という形です。本の成り立ちや版の違いは、こちらの記事で紹介しています。

原典と現代で語られる徐子平、ここが違う
四柱推命の歴史の解説では、徐子平の人物像が詳しく語られることがあります。唐・宋・明と王朝を追う年表の中で、四柱推命の中興の祖として紹介されることもある人物です。原典が語ることと、後世の伝承を分けて見てみましょう。
生涯の逸話は原典にない
「五代から北宋の人」「華山に隠れ住んだ」「陳摶や麻衣道者と交流した」。こうした逸話は、いずれも伝承です。原典にはありません。
「唐の先人は年柱中心」は現代の説明
「唐の先人は年柱中心、徐子平が日柱中心に改めた」と説明されることがあります。原典が語るのは「唐は年月日時の干支で論じ、宋の子平は日を主とした」までです。李虚中の説の中身は、原典には書かれていません。
名前の由来も原典にない
「水平のように公平に命を見るから子平」という説明も見かけます。これも後世の解釈で、原典には根拠がありません。
原典推命堂は、原典が明言している子平の法の骨格を採用しています。日の天干を主とし、生まれた月を重く見て、十神で関係を見ていく方法です。一方で、原典が掲げた「貴賤や寿命を決める」という目的は採りません。

まとめ
徐子平の生涯はほとんど謎ですが、その名は「日干を主とする読み方」として、四柱推命の中に生きています。原典が一行で言い切った「日を主とし、まず提綱を看る」は、いまの命式の読み方の出発点です。
次にすることは、自分の命式で、日の天干と月の地支を並べてみることです。あなたの四柱推命の主人公と、その季節が見えてきます。